2009年3月30日月曜日
2009年3月19日木曜日
2009年3月16日月曜日
地区計画の策定
現在、本地域の将来ビジョンを示した地区計画の策定に向けた取り組みを行っています。
【今年度の取り組み】
◎会員へのアンケート調査の実施(H20.8月)
対象者 419名(神原東、西、松の前に住む中学生以上)
回答者 304名(回答率72.6%)
神宝火祭、福祉、農業、教育等についてアンケート調査を行いました。
多分、地区内でアンケート調査を行ったことは、初めてのことだと思います。
さまざまな意見があり、今後の地区計画策定に反映させていきたいと思います。
◎地区計画策定講演会の実施(H21.1.24)
講師 中山間地域研究センター
主任研究員 笠松浩樹 氏
アンケート結果の報告会に併せ、笠松さんをお招きし、講演会を実施しました。
地区計画の必要性や策定に向けての進め方などわかりやすくご説明いただくとともに、ワークショップの実演など今後の策定作業に向けて大いに参考となるものでした。
【今年度の取り組み】
◎会員へのアンケート調査の実施(H20.8月)
対象者 419名(神原東、西、松の前に住む中学生以上)
回答者 304名(回答率72.6%)
神宝火祭、福祉、農業、教育等についてアンケート調査を行いました。
多分、地区内でアンケート調査を行ったことは、初めてのことだと思います。
さまざまな意見があり、今後の地区計画策定に反映させていきたいと思います。
◎地区計画策定講演会の実施(H21.1.24)
講師 中山間地域研究センター
主任研究員 笠松浩樹 氏
アンケート結果の報告会に併せ、笠松さんをお招きし、講演会を実施しました。
地区計画の必要性や策定に向けての進め方などわかりやすくご説明いただくとともに、ワークショップの実演など今後の策定作業に向けて大いに参考となるものでした。
2009年3月12日木曜日
神原獅子舞の後継者育成
県の無形民族文化財に指定されている由緒ある神原神社獅子舞を今後も継承発展させていくため、
地域内の子どもたちを対象に獅子舞保存会のメンバーの指導による笛や太鼓等の体験活動を行い、獅子舞に対する愛着を小さい頃からもたせることで後継者の育成を図っていきます。
地域内の子どもたちを対象に獅子舞保存会のメンバーの指導による笛や太鼓等の体験活動を行い、獅子舞に対する愛着を小さい頃からもたせることで後継者の育成を図っていきます。
〔参考:神原神社獅子舞〕
昭和63年に県の無形民族文化財に指定されています。
文政8年(1825年)の大洪水により凶作に際し、氏子の多々納文左衛門が伊勢太神楽の獅子舞を学び帰り、神原神社に奉納したことに始まるとされています。
頭屋制(前年の11月1日に御神裁によって決められ、一年間契斎を行う。現在神原地内には約100軒。)が天保6年(1835年)に確立されて以来、村中安全と五穀成就を祈る神事として、毎年11月3日の例祭や近郷諸社の祭礼に絶えることなく奉納され続け、今日に至っています。
舞は、一.清め舞、二.的舞、三.鈴舞、四.剣舞前段、五.剣舞後段、六.獅子三番叟舞、七.梅ヶ枝舞、八.ささら舞、九.日車舞、十.乱獅子舞、十一.連獅子三番舞に道中舞を加えた十二段で構成されています。
獅子舞の奉納は、例年、まず獅子舞連中が10月中旬に頭屋の家に集まり「習し」を始め、祭礼前夜の11月2日に正装をして「本習し」をすることで仕上げます。
祭礼当日は、神職が正午、頭屋へ獅子迎えに行き、奏楽、祝詞、拝礼、頭屋から来頭への盃渡しの儀、直会を行います。さらに獅子舞二番を舞った後、日象幡を先頭にして、世話人六名、頭屋、来頭、奏楽、鼻高、獅子、三番叟、月象幡の順に行列を整え、「道中舞」を舞いながら神社拝殿に向かいます。
拝殿では、献花、開頭札の奉納、新酒直会を行った後に、頭屋が社前に敷き延べたむしろの舞座で、一番の「清め舞」から十一番の「連獅子三番舞」までの舞を奉納します。
奉納が終わると、来頭が舞座のむしろを持ち帰り一年間保管して、翌年の奉納に備えます。
保存会は原則として氏子内の長子を会員としており、現在、園児2名を含めた、12名で獅子舞の技法を伝承しています。また、獅子舞の保持には氏子区域内6組から出た6人の世話人(世襲)があたり、神社総代が神事の管理を行っています。このように地域全体で獅子舞の保存に努め、今日に至っています。
文政8年(1825年)の大洪水により凶作に際し、氏子の多々納文左衛門が伊勢太神楽の獅子舞を学び帰り、神原神社に奉納したことに始まるとされています。
頭屋制(前年の11月1日に御神裁によって決められ、一年間契斎を行う。現在神原地内には約100軒。)が天保6年(1835年)に確立されて以来、村中安全と五穀成就を祈る神事として、毎年11月3日の例祭や近郷諸社の祭礼に絶えることなく奉納され続け、今日に至っています。
舞は、一.清め舞、二.的舞、三.鈴舞、四.剣舞前段、五.剣舞後段、六.獅子三番叟舞、七.梅ヶ枝舞、八.ささら舞、九.日車舞、十.乱獅子舞、十一.連獅子三番舞に道中舞を加えた十二段で構成されています。
獅子舞の奉納は、例年、まず獅子舞連中が10月中旬に頭屋の家に集まり「習し」を始め、祭礼前夜の11月2日に正装をして「本習し」をすることで仕上げます。
祭礼当日は、神職が正午、頭屋へ獅子迎えに行き、奏楽、祝詞、拝礼、頭屋から来頭への盃渡しの儀、直会を行います。さらに獅子舞二番を舞った後、日象幡を先頭にして、世話人六名、頭屋、来頭、奏楽、鼻高、獅子、三番叟、月象幡の順に行列を整え、「道中舞」を舞いながら神社拝殿に向かいます。
拝殿では、献花、開頭札の奉納、新酒直会を行った後に、頭屋が社前に敷き延べたむしろの舞座で、一番の「清め舞」から十一番の「連獅子三番舞」までの舞を奉納します。
奉納が終わると、来頭が舞座のむしろを持ち帰り一年間保管して、翌年の奉納に備えます。
保存会は原則として氏子内の長子を会員としており、現在、園児2名を含めた、12名で獅子舞の技法を伝承しています。また、獅子舞の保持には氏子区域内6組から出た6人の世話人(世襲)があたり、神社総代が神事の管理を行っています。このように地域全体で獅子舞の保存に努め、今日に至っています。
2009年3月11日水曜日
2009年3月10日火曜日
神宝火祭
これまで実施してきた事業について、紹介します。
神宝の郷21での一番大きな事業は、毎年8月に開催する『神宝火祭』です
昨年、8月23日(土)に7回目となる祭りを開催しましたが、当日は残暑もまだまだ厳しく、皆さん汗だくでの作業でした。15時から式典が始まり、終了後、子供たちによる子供神輿が賑やかに地域内を練り歩きました。夜からは、本祭りのメインイベントである松明行列が約100名の参加により行われました。
この祭りのメイン行事である松明行列には、夏の夜を彩る幻想的な炎を一目見ようと地区外からも多くの方にお越しいただきました。
その後、鳥取県岩美町からお招きした熊野神社麒麟獅子舞保存会の皆様と南加茂の貴船神社神楽の皆様による舞を披露していただき、夜遅くまで賑やかな祭りとなりました。
2009年3月9日月曜日
神原神社古墳(三角縁神獣鏡)
紹介続きです。
神宝地区には神原神社古墳があり、そこから国の重要文化財である「三角縁神獣鏡」が出土しました。
この銅鏡は、地域の宝であり、この銅鏡を活かした地域づくり活動を進めています。
神宝地区には神原神社古墳があり、そこから国の重要文化財である「三角縁神獣鏡」が出土しました。
この銅鏡は、地域の宝であり、この銅鏡を活かした地域づくり活動を進めています。
〔参考:神原神社古墳〕
この古墳は大原盆地を流れる赤川左岸の微高地突端にあり、墳丘上には「出雲国風土記」にみえる武内神原神社の本殿が建っていた。このあたりは斐伊川の中流域、ちょうど出雲の古墳密集地帯からはずれた周辺部にあたり、横穴などの後期古墳は多いが、前・中期の古墳はきわめて少なく、前期古墳としてはいまのところ三刀屋町の松本1号古墳が知られているのみである。
神社の記録によると、慶長年間以来たびたび社殿の増改築が行われており、最近では昭和初年に墳頂部を削平して本殿の改築がなされ、そのおり、深さ1mあまりのところで石室の蓋石につきあたったという。
墳丘はそうした度重なる社殿の増改築によってかなり変形を受けていたが、調査によって南北27m~30m、東西22~26m、高さ6.9mの方墳であることが判明した。墳丘の築成にあたっては、微高地の自然地形を利用して北側の墳裾を除く三辺に幅3~7mの溝をめぐらし、その上に多量の盛り土を施して墳丘を整えている。
2009年3月6日金曜日
神宝(かんだから)Blogはじめます。
本日から神宝の郷21のBlogをはじめます。
〔テニスコート場〕
〔ターゲットバードゴルフ場〕
日々の活動を余り無理せず、お知らせしていきたいと思います。
それでは、はじめに神宝の郷21のこと、簡単に紹介します。
加茂町の中央やや西部。神原東、神原西、松の前の三自治会で構成されます。赤川沿いに耕地が広がる農業地帯です。南部は山地で西寄りに高速道路が縦断しています。
また、近隣には野球場、テニスコート、ターゲットバードゴルフ場、B&G海洋センター、加茂中学校など公共施設が多くあり、恵まれた環境にあります。
◎世帯数及び人口
☆神原東 53世帯 204名
☆神原西 50世帯 205名
☆松の前 17世帯 60名
合 計 120世帯 469名(H21.2.26現在)
〔野球場〕
〔テニスコート場〕
〔ターゲットバードゴルフ場〕
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